「さじ加減」の社会理論

「確信は持てないが腹を決める」ということがどこかでなされねばならぬ。
「どこで」腹を決めるか、その「損益分岐点」の判断は個人に委ねられている。
問題は「さじ加減」である。
「さじ加減」についての社会理論というものは存在しない。
社会理論は「あるべき社会」と「あるべき社会に導くための方法」については語るが、「どういうタイミングで」「どの程度の範囲に」「どれくらいの手加減で」といったことについては何も教えれくれない。
けれども、私たちにとって真の実践的関心は実は「さじ加減」にある。
果たして「さじ加減」についての学知というものは存立しうるのか。
それが私の刻下の関心事である。


さじ加減って難しい。物事決めるときにこういうのって結局「バランス取って」とかそういう語り方しか出来ない。
もちろんちょうど真ん中がいいなんてのは幻想に過ぎないけど、その「真ん中」が魅力的に見えてしまうくらい、大抵の立場は無根拠。
この辺に関する本を書いてくれたら買いますよ内田さん!